広島東洋カープというと、今や女子に人気の「カープ女子」まで生まれた人気球団です。
そんな広島東洋カープですが、球団が設立されたのは、広島に原爆が投下され元気を失った広島を復興させる目的で作られた意義深い球団なのです。
広島カープのカープは鯉を意味しており、かつて広島城が鯉城と呼ばれていた事から、そこからとってカープと名付けられました。
今のように広島東洋カープという名前になったのは、後になっての事です。
本来、市民球団だった広島カープですが、球団の株の3分の1をマツダが保有している事から、マツダが昔使っていた名前である東洋を入れて広島東洋カープという現在の名前になりました。
しかし、市民球団である事は変わらず、市民が直接株式を保有している球団ではありませんが、他の球団のように1つの会社が保有している球団であるという意味で市民球団である事に間違いはありません。
市民球団であるからこそ、他の球団に比べて赤ヘル軍団は地元の人に愛される球団になっています。
また、一時期は球団が経営危機に陥りましたが、その時も「樽募金」と呼ばれる不安をファンにより運営資金の募金活動が起きて球団運営の危機を免れました。
広島東洋カープがどれだけ、地元に根付いた球団かはこの事でも分かります。他の球団と違い地元に根付いた球団です。
また今では「赤ヘル」と言われていますが、最初は青いヘルメットでした。その後ヘルメットの色が青から赤に変更されました。