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広島カープの永久欠番になった背番号15番の系譜

投稿日:2017年2月17日 更新日:

昨年で引退をした黒田博樹投手ですが、入団時に背番号15番をつけメジャーリーグから復帰してからも同じ背番号で活躍をして、リーグ優勝へと導いてくれました。
その功績を讃えて黒田博樹投手がつけていた背番号15番は、広島カープの永久欠番になりましたが、その背番号15番の系譜を述べていきます。

背番号15番は黒田投手も含め18人が付けていて、投手が14人、そして外野手が3人と内野手が1人つけていました。

そして、基本的に2シーズンから3シーズンという短い期間しか付けていない選手がほとんどとなっていて、一番長くつけていた選手が黒田博樹投手となり、メジャー移籍前の11シーズンと復帰後の2シーズンで合計13シーズン15番を付けていました。

その背番号を最初につけたのは、球団が設立したときに阪急ブレーブスから移籍してきた、内藤幸三投手でした。

内藤投手は小学生時代沢村栄治投手と同級生で、高校時代から投手として活躍していました。

広島カープでは2シーズンしか投げませんでしたが、引退後に審判員となって活躍し、2002年に脳梗塞で亡くなりました。

1980年から2シーズン15番をつけた選手は、1964年に広島カープに入団した安仁屋宗八投手でした。

安仁屋宗八投手は当時まだアメリカの統治下にあった沖縄から、初めて日本のプロ野球選手になった投手です。

そして安仁屋宗八投手の後を継いで2シーズン15番をつけたのが、炎のストッパーとして有名になった津田恒美投手でした。

津田投手は1982年にドラフト1位で広島カープに入団して、11勝を上げて新人賞に輝きました。

1986年からはストッパーに転向しましたが、当時の背番号は14番でした。

原辰徳選手がファールを打ったときに左手首を骨折した逸話があり、炎のストッパーとして有名になりましたが、その闘志は実は達川捕手が喧嘩をしているかのようにして引き出していました。

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